京都の織物作りは、はるか昔5世紀頃の飛鳥時代に、大陸からの渡来人である秦氏一族が京都太秦あたりに住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えたことに遡る。平安遷都が行われると、朝廷は絹織物の職人を織部司(おりべのつかさ)という役所のもとに組織し、貴族向けの高級な織物を生産した。いわば国営の織物業を始まりである。平安中期には、こうした朝廷の管理下を離れ、職人たちは自由に織物業を営むようになり、中国伝来の新しい技術を取り入れながら発展していった。
室町中期の1467年、京都で戦国時代の口火を切った応仁の乱が起こり、京都の織物業は一時壊滅状態に陥る。しかし、戦乱が終わると、戦火を逃れて離散していた職人たちが再び京都に戻り、山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていたあたりで、京織物を復興した。これが、『西陣』という名の由来である。西陣織とその産地・西陣は朝廷から認められ、また豊臣秀吉らに保護を受ける一方、その後も積極的に中国・明の技術を取り入れるなどして、すぐれた織物を生み出した。江戸時代になり、富裕町人文化の台頭によってさらに繁栄した西陣織は、明治に入るとフランスのジャカード織物の技術を取り入れ近代化に成功し、新たな発展を遂げる。こうして、文字通りわが国の最高級織物の代名詞となった。 西陣織の中でも、金糸や銀糸など多彩な糸を駆使した織物『錦織(にしきおり)』は、『故郷に錦を飾る』という言葉や、『襤褸(ぼろ)は着てても心は錦』という歌の文句にも使われているように、優雅で美しい織物の代名詞にもなっている。
細尾 :
元禄年間、本願寺の庇護の下に「細尾」の苗字をもらい西陣にて織物業に携わる。1923年(大正12年)京都西陣にて、西陣織の帯・着物メーカーとして創業。海外デザイナーとのコラボレーションによる新商品開発に力を入れている。フランス・パリの国際見本市メゾン・エ・オブジェ2007には、西陣錦織の技術を用いた「WABI」、「RINPA」シリーズを出品展示出展。
室町中期の1467年、京都で戦国時代の口火を切った応仁の乱が起こり、京都の織物業は一時壊滅状態に陥る。しかし、戦乱が終わると、戦火を逃れて離散していた職人たちが再び京都に戻り、山名宗全率いる西軍の陣地が置かれていたあたりで、京織物を復興した。これが、『西陣』という名の由来である。西陣織とその産地・西陣は朝廷から認められ、また豊臣秀吉らに保護を受ける一方、その後も積極的に中国・明の技術を取り入れるなどして、すぐれた織物を生み出した。江戸時代になり、富裕町人文化の台頭によってさらに繁栄した西陣織は、明治に入るとフランスのジャカード織物の技術を取り入れ近代化に成功し、新たな発展を遂げる。こうして、文字通りわが国の最高級織物の代名詞となった。 西陣織の中でも、金糸や銀糸など多彩な糸を駆使した織物『錦織(にしきおり)』は、『故郷に錦を飾る』という言葉や、『襤褸(ぼろ)は着てても心は錦』という歌の文句にも使われているように、優雅で美しい織物の代名詞にもなっている。
細尾 :
元禄年間、本願寺の庇護の下に「細尾」の苗字をもらい西陣にて織物業に携わる。1923年(大正12年)京都西陣にて、西陣織の帯・着物メーカーとして創業。海外デザイナーとのコラボレーションによる新商品開発に力を入れている。フランス・パリの国際見本市メゾン・エ・オブジェ2007には、西陣錦織の技術を用いた「WABI」、「RINPA」シリーズを出品展示出展。













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